犬山焼きの歴史(年表)

今井窯

完永年間(1688~1704)開窯説

宝暦年間(1751~1764)開窯説

安永10年(1781)頃、閉窯

丸山窯

文化7年(1810)島屋宗九郎、丸山窯を開く

文化14年(1817)錦屋大島太平衛暉意(てるみつ)、丸山窯を引き継ぐ

文政5年(1822)春日井郡上志段見村から加藤清蔵来る

文政9年(1826)同地より加藤寅蔵来り、新製(磁器)を始める

文政11年(1828)大兵衛より、焼成室3室増築願

天保初年(1830)頃、大島太兵衛暉意の丸山窯廃業

城主成瀬正寿(まさなが)、加藤清蔵を窯主とし、資金を与え丸山窯を再興させる

志段見から松原惣兵衛が来り、赤絵を開始する

天保6年(1835)陶画工道平雇い入れる

天保7年(1836)城主正寿候、道平に雲錦手意匠を描かせる

天保9年(1838)城主正寿候、三光寺御殿に陶画工を呼び、御庭焼を焼かせたという

嘉永年間 塐僊堂治兵衛来る

嘉永4年(1851)近藤清九郎秀胤参加

慶応2年(1866)尾関作十郎、陶器製造を願い出る

明治6年(1873)頃 加藤清蔵の丸山窯、尾関窯へ引き継ぐ

明治16年(1883)犬山陶器会社設立

明治21年(1888)組合立愛陶社設立

大正元年(1912)犬山陶器株式会社設立

昭和初期

窯元8軒:尾関・吉野・後藤・青山・紀藤・勝野・正進堂(伊藤)・大澤

絵付け2軒:平野・武山

昭和18年(1943)頃、犬山陶磁器有限会社に合同

昭和21年(1946)陶磁器有限会社解散

窯元4軒:尾関・後藤・大澤・青山

昭和34年(1959)伊勢湾台風後、青山窯廃窯

平成~(現在)尾関・後藤・大澤・武山の4窯